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森羅万象は、内も外もない生命流のうねりであり、
多種多様な波が絶え間なく揺らぎながら、無限に連続している。
生命流のうねりのなかで、それぞれの波が複雑精妙に関係し合い、
その時ならではの相が現れ、たちまち消えて、また現れる。
この世で見られる一切の現象は、生命流の変容していく相であり、
一つの断面を固定して決定付けることは、人間の都合にすぎない。
望月通陽
© 森永純
© 森永純
© 森永純
© 森永純
© エドワード・バーティンスキー
© エドワード・バーティンスキー
© エドワード・バーティンスキー
© 萩原義弘
© 萩原義弘
© 萩原義弘
※掲載写真の印刷物への使用は法律で禁止されています。
定価 ¥1,200(税込)
全150ページ 30×23cm
森羅万象は、内も外もない生命流のうねりであり、多種多様な波が絶え間なく揺らぎながら、無限に連続しています。そのなかで、それぞれの波が複雑精妙に関係し合い、その時ならではの相が現れ、たちまち現れて、また消えてゆく。人間の営みもまた、その波のなかの一つの相にすぎないでしょう。
自分以前から伝わってきた波を、自分の後に伝えていく一瞬の相。一瞬に輝く相は、それぞれが固有の美を持ちますが、その前後と無関係である筈がありません。
雑誌『風の旅人』編集長 佐伯 剛
望月通陽
WAVES
photos・text / 森永純
ROCK OF AGES
photos・text / エドワード・バーティンスキー
SNOWY TIME
photos・text/ 萩原義弘
北国の時間
photos・text/ 中藤毅彦
車窓から
photos・text/ 内野雅文
Expression
photos・text / 初沢克利
【連載】電気の働きに満ちた宇宙? 第5回ーエウロパとエンケラドゥス-
text / デビット・タルボット
不易流行と軽み
text / 酒井健
「在る」ことの奥行き
text / 小栗康平
狭間を見下す驕り
text / 森達也
熊本、コリア、洗足池、キラウエア
text / 姜 信子
歴史の風景
text / 前田英樹
ラロトンガ縦断、その他の気まぐれ
text / 管啓次郎
ユージン・スミスの旅
text / 田口ランディ
熊野、循環の恵み
text / 辻桂
旅人の心得3
text / 皆川充
新グレートジャーニー⑧
「南サハリン縦断」
photos・text / 関野吉晴
「時と相」
雑誌『風の旅人』編集長 佐伯 剛
森羅万象は、内も外もない生命流のうねりであり、多種多様な波が絶え間なく揺らぎながら、無限に連続している。生命流のうねりのなかで、それぞれの波が複雑精妙に関係し合い、その時ならではの相が現れ、たちまち消えて、また現れる。この世で見られる一切の現象は、生命流の変容していく相であり、一つの断面を固定して決定付けることは、人間の都合にすぎない。
巻頭で紹介している波の写真は、森永純さんが30年の長きにわたり撮り続けているものだ。その写真は、刻々と変容していく波が見せる瞬間ごとの美しい相がとらえられている。森永さんの写真は、巷に数多く見られるような波の動きを切断しただけの写真ではなく、それ以前の動きと、それ以降の動きをつなぐ絶妙な均衡がとらえられている。それゆえ、写真という静止空間にもかかわらず、波全体および各部分がうごめき、波そのものの生が持続していることが伝わってくる。波は、それ以前の力を受けて、次へと伝えながら絶え間なく変化し続けているが、どの一瞬を切り取っても同じものはない。波の一つ一つは常に新しい形を見せる。しかし、全体として見れば、いつまでも変わらない波ならではの摂理がある。繰り返し繰り返し、これまでも、そしてこれからも、その時ごとの必然性のなかで、なるべくしてなるように全体と部分を整えながら、次なる動きを生みだしている。
次に紹介する「ROCK OF AGES」の写真は、エドワード・バーティンスキーさんが撮ったアメリカ、ヨーロッパ、アフリカなどの石切場の写真だ。数百年、なかには数千年、人間が巨大な岩を切り刻んできた跡が見られる。この一瞬だけその現場に佇むと、巨大で堅い岩肌は「不変」のように見える。しかし、数百年、数千年という歳月で見ると、人間の都合によって刻まれながら、次第に異なる相に展開していくことが伝わってくる。人間は、自然の中から自分に有用なものを取りだして様々な物に加工する。さらに、永遠性に憧れ、変化の少ない石の性質を、宮殿や邸宅や彫刻芸術等に利用してきた。そうした人間性が変わらないかぎり、これからも、石切り場全体は少しずつ変容し続けていくのだろう。
「SNOWY TIME」は、雪に埋もれた廃鉱だ。人間の必要に応じて作られ、繁栄の頃は多くの人で賑わっていた北海道の夕張や飛騨の神岡鉱山などに、萩原義弘さんは25年もの長い間通い続けている。人間の役に立つかどうかは関係なく、「そのものじたい」に還った物たちが、雪のなかで、そして萩原さんの写真のなかで、ひそかに息づいている。雪も、人間が作る物も、儚き時間のなかにあるが、個々の変容の速度は、大きく異なっている。しかし、それらの相異なるものが出会い、響き合う場は、それぞれの存在の儚さと力強さを同時に引き立たせながら、全体として美しく均衡し、その時、その場だけの稀有なる相を生みだしている。
「北国の時間」は、雪深い北国の街、人、風景を中藤毅彦さんが撮り下ろしたものだ。地方都市に行くと、すぐに変わっていくものと、なかなか変わらないものの両方が、それぞれ別の時間の波長を持ちながら同時に存在していることがとてもよくわかる。その両方の波の配分が少しずつ変わっていくことで、風景も変わっていく。しかし、一面に雪が降り積もると、全てを白紙に戻すような光景になる。変わりやすいものも変わりにくいものも、昔も今も変わらない白い雪に、すっぽりと覆われる。目の前の変化に翻弄され、自分を見失いがちな時、雪景色の中にいると心鎮まるのは、時と場所を超えた永遠の相がそこに現れているからだろう。
「車窓から」の写真は、文字通り、日本国中を巡りながら、車窓からの風景を写真で切り取ったものだ。電車の動きとともに、四季の移ろいとともに、一瞬、一瞬、変化していく風景のなかに、昔から変わらない懐かしい人間の営みがある。人と人、人と風景の一瞬ごとの出会いというものが、これまでも、そしてこれからも、変わるものと変わらないものが交錯する相のなかに生じていることが、電車の窓を通じて伝わってくる。この写真を撮った内野雅文さんは、今年の元旦、京都で撮影中、心臓麻痺によって34歳の若さで他界した。無常の世で彼自身と出会うことはできなくても、これらの写真の枠を通して、彼の眼差しと息づかいを、いつまでも変わらずに感じることができる。
「EXPRESSION」は、初沢克利さんが一人の人間の表情を二つずつ撮ったものだ。あどけない顔と、真面目な顔。子供のように無防備な顔と、大人のように用心深い顔、とも言えるかもしれない。大人の顔は、少し哀しい。子供の顔は、見ている方も嬉しい。人間は誰でも、その二つの相を持っている。違いがあるとすれば、両方の配分が少し違うくらいだ。子供から大人になり、老人になっていく過程においても、その配分は次第に変化し続けていく。変わらないのは、誰しも、その二つの相の間で揺れ動いているということだ。どちらか一方の相だけで、その人を決定付けることはできない。人間は、一定の場所に固定された物体ではなく、常に揺れ動き続ける波なのだから。